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二百八十六年の歴史をもつ八戸三社大祭の由来

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八戸三社大祭の歴史は古く、いまから約二百八十六年前の享保六年(一七二一)豊作加護、報恩のために、祭礼がおこなわれ、おがみ神社で行列をととのえて上通りを通り長者山に到着、御輿は新羅神社境内の御霊屋(おくまや)に納まり、三日目に下通りを通ってお還りになった。

八戸三社大祭

このため新羅神社ではお礼の意味で行列をととのえてお送りしたのが祭りのはじまりと伝えられております。

文政八年(一八二四)ときの重臣野村軍記が大目付役を兼ねて寺社奉行であったとき、町々に働きかけて祭りを盛大に行わせ、当時すでに鮫町に伝えられていた虎舞が、このときから参加するようになったといわれています。

この年の九月には甲冑に身を固めた騎馬、徒歩武者が幟や馬印を揃えて参加したものが現在の武者押のはじまりといわれております。

初めはおがみ神社だけの行列だったものが、明治二十九年、日清戦役戦勝の報恩と慶祝の意味で、盛大に行なわれることになったのを契機に、新たに新羅神社と神明宮の御輿も参加、ここに文字どおりの三社大祭となりました。

八戸三社大祭・駒踊り

このときから鶏舞え、駒踊りなども参加するようになったといわれています。

明治四十二年に、それまで旧暦七月十九日を中日として行っていたのを、新暦に改め、九月一日から三日間と変わり、その後昭和三十五年より八月二十一日から三日間となりました。

同四十一年からは、更に前日の八月二十日を前夜祭としたため、事実上四日間の会期となり、時が過ぎ昭和五十七年に七月三十一日を前夜祭としたため八月一日から三日間となり平成十五年から後夜祭が入り現在五日間の会期となりました。

このお祭りの呼物は三社の御輿渡御と各町内および事業所などの繰り出す力作揃いの山車にあると思います。

八戸三社大祭・虎舞

昔は現在のような山車ではなく、有力な町家が美しく飾りたてた人形を台の上に載せ、店方の若者たちに担がせて掛声勇ましく練り歩いたといわれております。

人形は江戸(東京都)、京都方面から買い入れたもので目をうばうように美しいものであったといいますが、時代の流れに従い、毎年同じ人形ではあき足らず明治二十四年頃からは、おのおの工夫を凝らした人形が各々町内ごとに作られるようになり、更に二,三年後には、車に載せて曳かれる山車も現れたといわれております。

又お祭りを迎えるために町内で一番大きな家に集まり軒花を作り各町内の家の幹に刺してまつり日を迎えたものです。

この風習は江戸時代からあったようで上方から来た方が広げたと思われます。現在は軒がない為自然と消滅しています。

祭りの山車は毎年趣向の変わったものが見られるばかりでなく、山車コンクールの賞をめざして、芸術の粋を凝らし華麗さを競うところに人気が沸騰し年々多くの観衆を魅了させており、地元八戸では日本一の山車祭りと自慢しています。

八戸三社大祭由来

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